(財)日本鯨類研究所  鯨研通信500号より

北前船の寄港地と日本100名城巡りから始まった

瀬戸内坂越から北前船がもたらしたもの第8回(酒田2)

第19回までは「瀬戸内坂越から北前船がもたらしたもの全国版」を再構成したものです。

第8回酒田

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 平成28年9月15日

  今回は北前船寄港地フォーラムへの参加団体の荘内日報社の、論説委員長の富樫様が「新聞研究」に寄稿されたものを掲載しました。
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 掲載にあたり、富樫様と発行元の一般社団法人日本新聞協会に承諾を頂きました。心より御礼申し上げます。 また一部の写真は酒田市広報に協力して頂きました。 

(矢竹考司)

 

わが支局 わが日々「だし文化育んだ物流拠点」

                                                                                                                            荘内日報社論説委員長・富樫慎

     「新聞研究」平成 27  年 9 月号より転載 

 「和食」がユネスコの世界無形文化遺産になった。 その神髄とも言える「だし」文化の発達に、酒田が陰ながら重要な役割を担ったことはあまり知られていない。  江戸の商人・河村瑞賢が西回り航路を開拓したのは寛文12(1672)年。出羽の米を江戸に安全に運ぶためだった。この航路によって北前船が隆盛し、北海道から日本海、瀬戸内海を経由した関西圏との物流が活発化。


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出羽の酒田は東の起点として「西の堺、東の酒田」と並び称されるほど繁栄し、「酒田三十六人衆」の一角をなした鐙屋の繁盛ぶりは井原西鶴の「日本永代蔵」に描かれ、本間家は「日本一の大地主」とうたわれた。  その北前船で北海道から運ばれた重要な産物の一つが昆布で、関西で土佐のカツオと出合い、奥深いだし文化を育んだ。酒田から船が出なければ、和食の無形文化遺産登録はなかったかもしれない。  北前船が和食を育む一翼を担ったというこの話。実は、7月16~18日に大阪市で開かれた第16回北前船寄港地フォーラムで強調されたことだ。   2007年11月に酒田で初回を開き、その後、主に北海道、東北を巡り、今回初めて大阪で開かれた。本紙が初回に実行委員として関わった縁で度々取材しており、今回も酒田支社の私が出向いた。

今大会は図らずも、明治以降に「裏日本」のレッテルを貼られた日本海側や、東京一極集中の負の影響を受け続けてきた地方の関係者が結集した感があった。「東京を経由せず、世界に発信を」「地方に元気がないのは大阪のせい(笑)。 

 

  大阪こそが日本再生の鍵」「北前船を日本遺産に」などの話で盛り上がり、この絆を観光や産業振興に生かすことを確認した。  酒田港は今、国の日本海側拠点港(リサイクル貨物)などとして、多くのリサイクル関連企業などが立地。

 近年は花王酒田工場の紙おむつ輸出が好調で、昨年3月まで韓国・釜山向け週2便の国際定期コンテナ航路が今年6月からは中国直行便を含む週6便と急速に増え、さらなる貨物量の増加が期待されている。  

 

 もっと身近な話題では、酒田はNHK朝の連続テレビ小説おしん」や、アカデミー賞外国語映画賞を受賞した「おくりびと」のロケ地としても知られる。最近はトビウオ(アゴ)のだしを使ったラーメン、質の高い吟醸系の地酒、ジオパーク認定に向け準備が進む鳥海山のおひざ元としても関心が高まっている。  一方で、首都圏以外の多くの地方都市と同様、人口減少は大きな課題。行政も移住や子育て支援、雇用創出に懸命になっている。  しかし、私はあまり悲観していない。 酒田を出港した船が日本の物流の大動脈となってわが国を象徴する料理文化を育んだり、酒田から始まったフォーラムが東京一極集中是正や地方創生という日本の課題に向き合うものに発展したように、酒田には何か、いずれ大きなものに成長するものを生み出す素養があると思うからだ。酒田っ子が発信するものはタダモノではない。丁寧に掘り起こし、光を当てていきたい。 (とがし・まこと)