瀬戸内坂越の廻船と赤穂塩

それは神社・日本100名城巡りから始まった

瀬戸内坂越から北前船がもたらしたもの第25回(北前船寄港地フォーラム)

第19回までは「瀬戸内坂越から北前船がもたらしたもの全国版」を再構成したものです。

 

第25回(北前船寄港地フォーラム)

北前船寄港地フォーラムでは、多くの方々との出会いから、更につながる新たな広がりがあり、そのつながりから地元で知られていない事がわかる例もあった。これは、坂越の先人がかって廻船で活躍していたからだと・・そんな気持ちで毎回、参加することにした。


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 最初に参加した2015年11月加賀橋立での、石川好北前船寄港地フォーラム議長と石川県の観光大使道場六三郎氏の対談が心に残っている。
 
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 道場氏は、日本料理の基本の昆布の「うまみ」でこの昆布なくして「出汁」は生まれなかったと断言され、その昆布を北海道から運んだ北前船の話は石川氏がしていました。
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料理は器によって更に際立たせ、器もまた料理が盛られることで真価を発揮する、料理と器の一体感が日本料理の真髄であり、石川ならではの数々の伝統工芸が料理に影響 していたと語っていました。

  以来、東京銀座の道場さんの店に坂越の人達や、家族友人と行くようなり北前船の話は、女将と話をする機会にもなっています。

 翌日のエクスカッションで、北前船を詳しく案内していた方がいました。この時、わからない事があればこの方に相談しょうと思っていました。

 それから1年、北前船の里の資料館の牧野さんに能登の塩について聞き〜
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 能登で揚浜塩田を経営されている横道嘉弘さんと、2016年11月東京でお会いしました。

 この時、頂いた『能登の揚浜塩田』には、赤穂塩に関わる事が掲載されていた。
 地元でわからなくても寄港地側でわかる例ある。

その後、横道さんには、明楽みゆきさんのfm番組「すすめ北前船」のコーナで能登の揚浜式塩田について語って頂いた。

  坂井市での北前船セミナで、各寄港地に残る足跡をデータベースにする話が浮上していました

 これは、北前船寄港地フォーラム初で、日頃から研究されている専門家の方々によるパネルデスカッションの中で提案された事でした。

 

 坂井市は、坂越と同じ加賀のフォーラムから連続で参加していました。これを知ったのは、坂井市でのフォーラムでした。

 その前の5月大連での北前船寄港地フォーラムのレセプションで、初めて坂井市と同じテーブルになりました。
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この時、坂井市観光連盟の大和久米登会長が、明楽みゆきさんのFM番組をスタートさせた去年5月「進め北前船」にゲスト出演していた事を知った。
 

坂井市北前船フオーラムについては、明楽さんのFM番組の前半で私が、

後半の「進め北前船」は大和会長のインタビューでした。

 大和会長は2日目のパネルデスカッションで三国を熱く語つていました。