古式捕鯨と塩釜(塩釜から見える鯨料理)

神社・日本100名城巡りから始まったストーリー

古式捕鯨と塩釜第3回(鉄釜から出来る真塩)

古式捕鯨と塩釜第3回(塩釜から見える鯨料理②)

鯨は、縄文時代の遺跡から鯨の骨が出土しており、日本人は古くから鯨を食していた。仏教が日本に伝来すると牛等の動物の肉食がたびたび禁じられたが、鯨は魚とみなされ、長く食され鯨に関する文献は奈良時代からある。

 

 

出典 日本捕紀行(北前船と鯨)より

 

古事記』(712)に神武天皇に鯨肉が献上されたとあり、『万葉集』(759)には海の枕言葉として鯨魚取(いさなとり)が詠まれていたと、一般財団法人日本鯨類研究所が、1990年12月刊行した「鯨研通信第380号」の「古典文学に見る捕鯨」にその掲載がある。

奈良時代の正税帳である「正倉院文書」(737)に「煮塩鉄釜」がでてくるが、鉄釜は718年立国した能登国(現羽昨市)の古代塩田遺跡から出土している。

宮城県(現塩釜市)の神社にあった能登の鉄釜(出典 能登の揚浜塩田)

(いつ頃運ばれたか不明だが口径は広い浅釜は、能登では18世紀後期から使われていたことから、これ以降北前船で運ばれたかもせれない。また、塩釜地方では入り浜式塩田が可能な地域だが、鉄釜は鎌倉時代から造られていた。)

 

 平城京の遺跡から出土した木簡に、瀬戸内、紀伊、若狭、能登佐渡、伊勢、三河の地名が見え、朝廷に塩も貢物として納められていた

鉄釜の出土・木簡の記述そして「正倉院文書」から、神武天皇に献上された鯨肉の調味料は、能登の鉄釜でつくられた高品質な真塩だったと考えられる。高貴な人へ献上する鯨料理の塩に、苦汁を多く含み品質の悪い塩を使うとは考えられないからである。

室町時代の永享8年(1436)伏見宮貞成親王の日記『看聞御記』に、鯨の荒巻30本を室町将軍家からいただいたとあり、この荒巻は食品の塩蔵による保存の一つだった。

 

 出典  国会図書館デジタルアーカイブ
 この時代の鯨類は庶民の食べ物というより、将軍家や公家など高貴の人達の祝事の食べ物に利用される高級な食材だった。つまり、鯨の塩蔵や料理には苦汁の少ない高級な真塩が使われたと考えられる。

 

 次回は江戸時代に庶民も鯨が食できるよになった話である。

この連載は、2024年2月(財) 日本鯨類研究所から出版された鯨研通信500号に新たに写真や解説を加えたものである。